ブラックモン(1833−1914年)は19世紀のフランスを代表する版画家です。19世紀のフランスでは、それまで凋落傾向にあったエッチング(腐蝕銅版画)の人気が復活しますが、この復活を担った重要な版画家のひとりがブラックモンです。ちょっとこのブラックモンに注目してみましょう。
フェリックス・ブラックモン 《扉の上部》 1852年
まずは《扉の上部》という彼の作品。これはブラックモンが19歳の時に制作したもので、大胆な構図と緻密な描写には卓越した版画制作の技術がうかがわれます。
鳥はブラックモンのお気に入りの主題で、3羽の鳥は左上からカラス、トラフズク、ハイタカです。右下のプレートには、フランス語で「飛ぶ(voler)ことは盗む(voler)ことではないのだ」という教訓めいた言葉が刻まれています。

フェリックス・ブラックモン 《髭鷲》 1904年
ブラックモンは、いわゆる「印象派展」の第1回展にも出品しています。そして印象派の画家たちと親交を結び、版画の技術を教えています。
例えばマネの作品に見られるアクアチントの部分には、卓越した技術をもつブラックモンの手がはいっている(少なくとも彼のアドバイスに従ったもの)と言われています。

エドゥアール・マネ
《異国の花(マンティーリャをかぶる女)》
1868年
ドガ、ピサロ、カサットも彼の「生徒」のようなものでした。 ブラックモンは、1862年に設立された「腐蝕版画家協会」の中心メンバーのひとりとしてエッチングの復興に寄与しました。自ら優れた作品を残すとともに、版画の団体を組織し、多くの画家に技術を教え、版画をより大衆にとって身近なものしたといえるブラックモン。印象派の版画の制作には、いぶし銀のようなブラックモンの貢献があったのです。

カミーユ・ピサロ
《エラニーの刈り草を干す農婦》
1897年
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